政治よもやま話(爺放談)

2023年3月18日

「アメリカ一辺倒ではない独自積極外交と日中貿易の拡大とポツダム宣言を受託したアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4か国との同時平和条約の締結を基本政策とする」これは1955年に自由党と民主党が保守合同により誕生した自由民主党の1956年12月の総裁選の決戦投票で、僅か7票差で岸信介氏に勝利して第2代自由民主党総裁の座を射止め、第55代内閣総理大臣に就任した石橋湛山内閣の基本政策である。

【プロフィール】氏名)尾崎 健、生年月日)1963年9月24日、本籍地)北海道幌別郡登別町(現在の登別市)、虻田町(現在の洞爺湖温泉町)で高校卒業まで暮らす。国学院大学法学部卒、外資系IT企業の輸出入事業部で通関士として勤務した後、転職して外資系国際物流企業のCL部門で勤務。2023/03/31で退職。

嘗てヨーロッパで絶大な権勢を誇ったハプスブルグ家は、オーストリア・ハンガリー帝国を支配したが、第二次世界大戦で日本と同じように連合国に敗れ、敗戦国としてアメリカ・イギリス・ソ連・フランスの4ヵ国による占領によってオーストリアの領土が4つに分割され、首都ウィーンも同様に4分割されてしまいました。10年もの4ヵ国による分割統治の後、オーストリアは1955年5月15日にアメリカ、イギリス、ソ連、フランスとオーストリア国家条約を締結して漸く独立国家の地位を回復して、占領軍が撤退しました。そして、オーストリア議会は、オーストリアの永世中立に関する憲法法規を可決しました。その内容は、第一条)外に対し常に独立を確保するため及び自国領土を侵害されないため、オーストリアはここに自由意志をもって永世中立を宣言する。オーストリアは、一切の手段を挙げて永世中立を維持し、かつ、擁護せんとする。第二条)将来にわたりこの目的を確保するために、オーストリアは、いかなる軍事同盟にも加入せず、またその領土内にいかなる外国の軍事基地の設置も許さない。そして、オーストリアは、スイスと共に永世中立国として、自由主義経済と民主主義国としてヨーロッパだけではなく世界の中で大きな役割を担い、世界の平和に貢献している。戦後77年日本は、サンフランシスコ平和条約締結後、日米安全保障条約を中心に歩んで来た。日本の政治の中で、なぜスイスやオーストリアが選択した永世中立の選択はなかったのか。そして、戦後の日本の政治の中にスイスやオーストリアのように自由主義経済国で民主主義国家でありながら、永世中立の政策を基本政策にした政党は、いままで生まれなかった。スイスのように国民平均所得が日本よりもはるかに高く、医療や教育や様々な社会福祉の質の高いサービスを受けることが出来る国にするために、日本に今までなかった新たな政党の誕生が期待されている。【日本を東洋のスイスにする政党】の立ち上げを目指して、一生懸命がんばります。

Posted by たっちん