北朝鮮問題の本質と今後日本は、この問題にどのように取り組むべきか。

2023年3月18日

1950年6月25日に始まった朝鮮戦争は、1953年7月27日に38度線付近の板門店で朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と大韓民国、アメリ合衆国を中心にした国連軍との間で休戦協定が結ばれ3年間続いた朝鮮戦争は、一時的に終結したが、その時から69年が過ぎた現在も38度線の休戦ラインを挟んで分断国家の南北朝鮮は、今尚戦時下の状態が続いている。南北朝鮮問題の発端は、1945年2月4日から11日にかけてソ連のクリミア半島のヤルタ近郊で行われたヤルタ会談でアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンソ連共産党書記長の3者によって秘密協定が結ばれ、その中で第2次世界大戦終結後の日本の統治下であった満州、朝鮮半島、南樺太、千島列島、台湾についての処遇が決められた時に朝鮮半島の分割統治がほぼ運命づけられた。アメリカのルーズベルト大統領は、日本の降伏を早めるため当時日本と日ソ中立条約を結んでいたソ連のスターリンに対して一方的に中立条約を破棄してドイツ降伏後、90日以内に日本に宣戦布告してソ連満州国境から侵攻するように強く促した。その後、7/26にアメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンソ連共産党書記長によって日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発せられ、8/6広島に原爆投下、8/9長崎に2発目の原爆投下、長崎に原爆が落とされた同日にソ連は、日本に対して宣戦布告してソ連満州国国境から満州国内に進攻を開始した。朝鮮半島の南北分割統治が決まったのは、ソ連が宣戦布告をしてソ連満州国国境を越えて侵攻を開始した8/9であったと言われている。日本の降伏を早めるためにソ連に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に参戦するように促したアメリカのワシントンでは、突如ソ連満州国境から侵攻したソ連を満州国、朝鮮半島のどこで侵攻を食い止めてソ連による占領地域を最小限に抑えるかに頭を悩ませていた。アメリカ陸軍と国務省は、対策会議を繰り返した結果、北緯38度線までのソ連による占領をアメリカ側が提案して、ソ連はその案をすんなり受け入れたと言われている。38度線より以南は、日本統治時代に主にアメリカで独立運動を続け、解放後に帰国した李承晩(イ・スンマン)が大統領に選ばれ「親米」「反共」の大韓民国を1948年8月15日に建国し、38度線以北はソ連の統治下において日本の統治時代に満州との国境付近を根拠地にパルチザン活動を行っていた金日成(キム・イルソン)が、ソ連の支援を受け1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。戦後の朝鮮半島の歴史は、南北統一を志向する方向で歴史が動いて来た。北朝鮮が武力に拠らず韓国に歩み寄った例が過去に2回ある。1972年7月の南北共同声明と1991年12月の南北基本合意書である。いずれも、お互いに侵略しないことを確認し合ったもので、その結果、南北国連同時加盟が実現したのである。北朝鮮が韓国に歩み寄った理由は、1972年2月にニクソン大統領が訪中し米中共同声明を発表して、米中和解が実現した。中国がアメリカと手を握ったため、北朝鮮は孤立状態に陥り、それを打開するために韓国に歩み寄ったと言われている。「南北基本合意書」(1991年)の背景には、韓ソ国交正常化(1990年9月)がある。1972年にアメリカは、中国と相互に相手国の主権を認め、平和共存五原則に基づく国交を開くことで一致し、その後両国間で更に協議が続けられ1979年1月1日に鄧小平副主席が中国の要人として初めてアメリカを訪問し、カーター大統領との間で米中の国交正常化で合意した。その時、アメリカはなぜ朝鮮戦争で中国と一緒に戦った北朝鮮とは国交正常化を行わなかったのかという大きな疑問が残る。1972年7月には、ニクソン訪中を受けて南北共同声明を出して北朝鮮と韓国は、大きな歩み寄りの姿勢を見せていたし、当時北朝鮮はまだ核開発は行っておらず、核ミサイルも所有していなかったのである。もし、1972年に中国と国交正常化に向けた交渉を開始した時にアメリカが北朝鮮とも同様に国交正常化に向けた歩み寄りを行っていたなら、その後北朝鮮が核開発を行うことはなかったのではないだろうか?ニクソン大統領の突然の中国訪問は、当時泥沼化していたベトナム戦争を終結させるため、べトナムを支援していた中国に接近して、和平の道を探ることであったと言われている。また、当時、中国と対立していたソ連をけん制するために中国と和解して国交正常化を行ったともわれている。その一方でアメリカにとって北朝鮮との国交正常化は、あまりメリットがなかった。北朝鮮と国交正常化を行って朝鮮半島の南北分断による軍事的緊張状態を和らげ南北統一の環境をつくるよりも、朝鮮半島を38度線で分断させて置いて、休戦状態のままにした方がアメリカにとって都合が良かったのではないだろうか。なぜならば、当時まだ米ソ冷戦は、続いており極東地域において日本と韓国にアメリカが基地を持ち続けるための大義名分として、北朝鮮との戦争を終わらせることなく、休戦状態のままいつまでも戦時状態にして置く方が、アメリカにとって戦略的に好都合だったからだ。1972年当時は、北朝鮮は核を持っておらず、将来核を開発できるとはアメリカも含めて誰も予想していなかった。2022年11月18日午前10時15分頃、北朝鮮は平壌郊外の順安(スナン)付近から大陸間弾道弾1発を発射した。海上保安庁による発表では、ミサイルは同日午前11時20分頃に北海道渡島大島の西約210キロの日本の排他的経済水域(ZZE)内に落下したと見られる。岸田首相は、北朝鮮に対して厳重に抗議する声明を出した。そして、浜田防衛大臣は「今回の弾道ミサイルは、軌道に基づいて計算すると1万5000キロを超える射程になりうると見られ、その場合、アメリカ全土が射程に含まれると述べた」。北朝鮮は、2006年から2017年までの間に核実験を6回繰り返して来た。そして、現在は5年振りに核実験に向けて準備を進めていると見られている。弾道ミサイルなどの発射実験を繰り返す北朝鮮に対して、日本、アメリカ、韓国の3か国は、連携して抑止力の強化を進めて、昨年9月に続いて10月6日に原子力空母を日本海に再び展開し日本や韓国と共に共同軍事訓練を行った。また、10月17日~28日にかけては韓国軍の定例の野外機動訓練が一部アメリカ軍も参加して実施された他、11月5日までの6日間、最新鋭のステルス戦闘機や核爆弾搭載可能なB1爆撃機などを投入して米韓空軍による5年振りの大規模軍事訓練が行われた。日米韓の共同軍事訓練が規模を拡大させて実施される度に北朝鮮は、弾道ミサイル等の発射実験を繰り返し行い日米韓の軍事的脅威に対抗しているようにさえ思える。先日、岸田首相は、北朝鮮により繰り返し行われているミサイル発射実験と核実験に対抗する手段として、敵基地先制攻撃能力を備えた防衛力の強化のため、今後5年間でGDP比2%(11.8兆円)の防衛費にする方向で議論を本格化させる方針を打ち出した。北朝鮮のミサイルに対する防衛手段として、2004年から2017年と2018年の予算の累計でミサイル防衛(BMD)システムの整備のために2兆588億円もの膨大な国民の血税が使われて来た。しかし、最近北朝鮮が行っている機動力のある弾道ミサイルの発射実験に対して、日本のミサイル防衛(BMD)システムで北朝鮮の弾道ミサイルを迎撃することは難しいことがわかった。そして、昨年に入って政府と自民党は、敵基地先制攻撃能力を備えた防衛力の大幅増強の方針を打ち出したというのが、現在までの防衛費についての主な流れになっている。政府は国民の危機感を煽り防衛費を増額しようとしているが、私たちは、もう一度立ち止まって考えるべきではないだろうか?なぜ、北朝鮮が核開発を行い、核を手にしたのか、そして、なぜ日米韓の軍事訓練の度にミサイル発射実験を繰り返しているのかを、そもそも朝鮮半島の南北分断は、アメリカが第二次世界大戦終結間際にヤルタ会談でソ連を参戦させたことがことの発端である。そのことにより38線を境に北朝鮮と韓国の分断国家が生まれたのである。そして、1972年アメリが中国と国交を正常化させるために交渉を開始した時に、北朝鮮との間で国交正常化を行い戦時状況を解消しなかったことは、アメリカの大きな誤りである。そのことを考えると果たして、日米韓が軍事力を増強して北朝鮮を追い込むことが、本当に得策であるのかどうか?1972年にアメリカが北朝鮮と国交正常化を行っていれば、ドイツやベトナムのように朝鮮半島も既に統一していかかもしれない。私にはアメリカが北朝鮮と国交正常化を行うことが、最善策のように思えてならない。また、朝鮮半島の南北分断は、日本の統治時代に日本による植民地化に反対した当時の朝鮮の人々が、ソ連とアメリカの支援を受けてそれぞれ独立運動を行ったことが、解放後の統一国家建国のための障害になったことを考えると、日本にも民族を分断させてしまった責任の一端はあることを忘れてはいけない。6ヵ国協議に頼らずに日本政府は、積極的にアメリカに対して北朝鮮と国交回復をするように勧めることが、日本にとって本当の国益になるのではないだろうか。核の廃棄は、国交を正常化した後でも良いということにすれば、十分北朝鮮との話し合いの余地が残されているのではないか。例えば国交正常化の1年以内に北朝鮮が核兵器を全面的に破棄し、アメリカは朝鮮半島から基地を撤収させるという条件であれば、アメリカにとっても、北朝鮮にとっても現実的に受け入れることが可能な条件であるように思えるのである。

Posted by たっちん