【日本国憲法施行76年を迎えて】
「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を謳った憲法9条は、日中戦争から続いた太平洋戦争で日本人320万人と中国をはじめアジアの近隣諸国に2000万人とも3000万人とも云われる多大な犠牲者を出したことに対しての心からの反省と、私達は二度とこのような侵略戦争を起こさないという【不戦の誓い】です。戦後、わが国の安全保障政策は、憲法9条に基づいて歴代内閣は、専守防衛を堅持し自衛隊は「日本を防衛するための必要最小限度の実力組織である」との認識に基づいて、自衛隊は専守防衛に徹するとした認識を国内外に示しその認識を共有して来ました。2022年度版防衛白書では、わが国の専守防衛について次のように説明しています。「相手から武力攻撃を受けた時にはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」防衛白書に書かれているように、わが国の専守防衛とは国連憲章が認める自衛権のうち自国に関わる個別的自衛権しか行使しないというものです。しかし、現在自民公明連立政権下で、専守防衛を事実上変質させる安全保障政策の転換が進められています。一つは、第二次安倍政権が2015年に強行して成立させた安保関連法で、歴代内閣が戦後一貫して「集団的自衛権の行使」を憲法違反であるとして来た政府見解を突然180度転換して「集団的自衛権の行使」は、憲法違反ではないとする政府見解に変更しました。集団的自衛権を行使するということは、自国が攻撃されていないにもかかわらず、自国と密接な関係にある外国への攻撃を自国への攻撃と認め反撃することですから、「相手から武力攻撃を受けた時に、はじめて防衛力を行使する」専守防衛とは、明らかに相容れません。そして、二つ目は、岸田政権が昨年12月に改訂した国家安保戦略です。歴代内閣が「憲法の趣旨ではない」として来た【敵基地攻撃能力の保有】を一転認める内容で、これまで国内総生産(GDP)比1%程度で推移して来た防衛費を関連予算と合わせて国内総生産(GDP)比2%程度に倍増する方針を表明しました。こうした安全保障政策の転換が専守防衛を逸脱し、憲法と矛盾することは明白です。岸田首相は、2022年11月の国際観艦式で「非核三原則や専守防衛の堅持、平和国家としての歩みを変えるものではない」と述べましたが、これは明らかな詭弁です。第一次世界大戦後に制定されたドイツのワイマール憲法は、国民主権や生存権を盛り込み当時世界で最も民主的な憲法と云われていました。しかし、ヒトラーは、憲法に基づく大統領令を頻発したり、政府に国会審議を経ない立法を認める全権委任法を制定して憲法で定めた基本保障を骨抜きにしました。そして、このことがユダヤ人のホロコーストや障害者の大量殺戮を生み、ナチスドイツによるヨーロッパ諸国への侵略戦争へと繋がったのです。【憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり】これは、伊藤博文が憲法調査のため英国やドイツなどに派遣され、著名な学者達に学び帰国後に枢密院で述べた言葉です。個人は多くの自由と権利を持っていますが、権力は時にそれを奪ったりします。だから、権力を制限しなければならない。近年の欧米社会では【憲法の力】によって権力を縛り、暴走させないという立憲主義の考え方をとりました。日本が再び戦火に巻き込まれれば、憲法で保障された自由や基本的人権は、戦前戦中のようにないがしろにされます。だからこそ日本は、専守防衛を堅持し続けることこそが、基本的人権を守ることになるのです。戦争に突き進まず自由や基本的人権を守るには、憲法9条だけでなく憲法条文に込められた先人たちの決意を読み取り、不断の努力を続ける必要があります。そして、憲法に込められた私たちの【不戦の誓い】というバトンを次の世代に引き継がなければなりません。