ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一がもたらした米ソ冷戦の終結は、世界に何をもたらしたのか?

2023年6月28日

NATO(北大西洋条約機構)は、北米と欧州29ヵ国が加盟する政府間軍事同盟で1949年4月4日、アメリカのワシントンで調印された。一方、ワルシャワ条約機構は、ソ連及び東欧圏7か国(アルバニア・ブルガリア・ハンガリー・東ドイツ・ポーランド・ルーマニア・チェコスロバキア)が結成した東欧相互防衛援助条約機構で、NATOに対抗するために1955年5月14日に調印された。しかし、1980年代後半のベルリンの壁崩壊と東西ドイツの統合により、長く続いた米ソ冷戦の時代は終わり1991年7月ワルシャワ条約機構は解散した。米ソ冷戦時代、ソ連とアメリカは、競って核兵器を増やした。1980年代後半「核戦争に勝者はない」との認識で合意し、初の核軍縮と冷戦終結に導いたのが、ソ連共産党トップのゴルバチョフとレーガンアメリカ大統領だった。ベルリンの壁崩壊後の東西ドイツの統一に際して、アメリカが統一ドイツのNATOへの加盟を求めたのに対して、旧ソ連はNATO帰属を阻止しようと対立した。なぜなら、旧西ドイツはNATO加盟国でしたが、旧東ドイツはワルシャワ条約機構の一員で、ワルシャワ条約機構の中でもソ連は、東ドイツを対NATOの戦略上において、最も重要な国として、ソ連の最強部隊を配備していたからでした。また、第二次世界大戦の時にナチス・ドイツは、永世中立国のスイスとイギリスを除いて、ヨーロッパの殆んどを瞬く間に占領しましたが、ソ連も同じようにナチス・ドイツの猛烈な侵攻により、北部では首都モスクワやレニングラードの近くまで攻められ、南部でもウクライナやベラルーシを占領されて、スターリングラードの8カ月に渡る攻防戦で、市民も含めて200万人もの死傷者を出した末に漸くナチス・ドイツ軍に勝利することができました。このスターリングラードの攻防戦での勝利を転換点として、ナチス・ドイツの侵攻に防戦一方だったソ連軍が、反転して攻撃に出たことで第二次世界大戦でのドイツの降伏に繋がったと言われています。しかし、ソ連は、第二次世界大戦のナチス・ドイツ軍の侵攻で2000万人の犠牲者を出した経験から東西ドイツの統一は、ソ連にとって脅威でした。そのため、どうしても東西ドイツの統一したドイツをNATOに入れることに反対しました。東西ドイツの統一に際して、統一ドイツのNATO加盟の交渉にあたり、当時のソ連共産党トップのゴルバチョフ書記長とアメリカのベーカー国務長官との間で行われた会議記録の中にベーカー国務長官の次の発言の記録がある。「もし、米国がNATOの枠組みでドイツでのプレゼンスを維持するなら、NATOの管理権もしくは軍事的プレゼンスは、1インチたりとも東方に拡大しない。そうした保障を得ることは、ソ連にとってだけでなく他のヨーロッパ諸国にとっても重要なことだ。」この約束により東西ドイツの統一後のNATO帰属が合意された。しかし、【NATOを1インチたりとも東方に拡大しない】という約束は、守られることなく1999年に東欧3か国のチェコ・ハンガリー・ポーランドがNATOに加盟した。そして、ウクライナもNATOに加盟することを希望し、NATO側も2008年に将来的にウクライナの加盟を認めることで合意した。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツの統一は、アメリカにとって稀に見る機会をもたらした。核兵器の削減だけではなく、ロシアとの関係を敵対国から友好国にできる絶好の機会であった。1998年ロシアは、G8のメンバーとして初めてグローバル経済の表舞台に立った。そして、2014年にクリミアにロシアが軍事進攻したため、ソチサミットが中止になり、ロシアはG8のメンバーから外されたが、約17年間ロシアとEU諸国は表面上は、良好な関係を取っていた。政治的な点で少しづつ軋轢が生じ始めていたが、少なくても経済面では良好関係を取っていたように見えた。ロシアをG8のメンバーとして、良好な関係が築かれている時に何故、NATOを解散しなかったのか?NATOはソ連を中心にしたワルシャワ条約機構に対抗する安全保障体制であったのだから、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一され、米ソ冷戦が終結した時にワルシャワ条約機構の解散と同時にNATOも解散すべきではなかったか?もし、NATOが解散されていたなら、今回のウクライナ戦争が起こることはなかったはずである。そして、東西ドイツの統一の際にアメリがソ連にした約束【NATOを1インチたりとも東方に拡大しない】をアメリカが守っていたら、ロシアがウクライナに侵攻することはなかったに違いない。2008年8月にロシアは、NATOに加盟することを希望したジョージア(グルジア)に軍事進攻をした。そして、2014年3月には、ウクライナの南部クリミア半島に軍事進攻してクリミア半島を併合した。今回のウクライナ戦争が開始される前の2度のロシアによる軍事進攻の時に、これ以上NATOを東方に拡大しないというロシアにとって安心できる安全保障を与えるための交渉ができなかったことが悔やまれる。アメリカとNATO加盟国は、ウクライナを支援するために最新鋭の戦車や装甲車やトマホークミサイルなどの最新兵器をウクライナに大量に送って支援し、ウクライナ軍の反転攻勢が開始されたが、戦争の行方は、現時点では皆目予想がつかない。G7首脳たちは、ウクライナのゼレンスキー大統領を会合に招いて、ウクライナ復興ビジネスの話を目を輝かせて議論している。しかし、戦場では、毎日多くの若者達が、ウクライナとロシアのために戦い命を落としている。戦争がいつ終わるともわからない状況で、鉄砲の玉の飛んで来ない安全な場所で、復興ビジネスの議論を始めることは、まだ時期早尚ではないか。先ずは、戦争を1日でも早く終結させること、そのためにはウクライナとロシアの間に立って停戦交渉に最大限努力をすることが、何によりも重要なことである。今、ロシアにとって最も欲しいものは、ロシアにとっての安心できる安全保障であることは、間違いない。そのことを考えた時、ウクライナ戦争の停戦条件、そして、それを終戦条件につなげるには、東西ドイツの統一の時にアメリカがソ連に約束した【NATOを1インチたりとも東方に拡大しない】の約束に戻って、ロシアに取って同等の安心が得られる安全保障を約束することではないか。それは、かつてゴルバチョフがアメリカを信じて、ワルシャワ条約機構を解散したように、アメリカを始めとするNATO諸国は、ロシアを信用して、NATOを解散することより他にウクライナ戦争を早急に終結させる方法はないのではないだろうか。

Posted by たっちん