日中平和友好条約の締結に道を開いた田中角栄元総理大臣は、ロッキード事件により政治生命を絶たれた。

2022年9月10日

戦後最大の疑獄事件として、日本の政界、官界、財界を巻き込んだロッキード事件は、元内閣総理大臣田中角栄の逮捕にまで発展した。事件の発端は、1976年2月の米上院外交委員会でロッキード社の副社長アーチボルド・コーチャンが航空機売り込みのために各国の政府高官に賄賂を渡したことを暴露したことから始まった。コーチャンは、日本にも30億円を超える工作資金をばらまき、全日空へロッキード社の旅客機「L-1011トライスター」の売り込みに成功し、防衛庁に対しては、次期対潜水艦哨戒機「P-3Cオライオン」の採用を工作したことを証言した。始め朝日新聞が、ごく小さな記事でこの事件を取り上げたが、翌日から新聞、テレビ、週刊誌で連日、大きく取り上げられ、日本中が大騒ぎになった。時の首相、三木武夫は、この事件の徹底究明を国民に約束し、アメリカ政府に依頼して、公聴会での資料をわざわざ取り寄せて、検察、警察、国税庁に対して、事件の真相を徹底的に調査するように指示した。アメリカから取り寄せた資料から、ロッキードの航空機売り込みのためにばらまいた工作資金が2つのルートにより、日本の政界に流れていたことが判明した。第一のルートは、全日空・丸紅ルート、第二のルートは、児玉・防衛庁ルートだった。コーチャンの証言により、工作資金としてロッキードの秘密代理人であった児玉誉士夫に30億円が渡り、第一の全日空・丸紅ルートには、9億円、第二の児玉・防衛庁ルートには、21億の賄賂が流れたことが判明した。国会では、証人喚問が行われ、連日テレビ中継で国民にその様子が伝えられた。その後の検察、警察、国税庁の合同捜査により、児玉誉士夫、国際航業社主の小佐野賢治、田中角栄元総理大臣、橋本登美三郎元運輸大臣、佐藤孝行元運輸政務次官、榎本敏夫元首相秘書、全日空の若狭得治社長、渡辺尚次副社長、澤雄次専務、藤原亨取締役、丸紅の檜山廣会長、大久保利春専務、伊藤宏専務らが逮捕・起訴された。裁判は、1977年1月(昭和52年)から丸紅・全日空ルートと児玉・防衛庁ルートに分けて進められ、児玉は、一審中、田中、橋本、佐藤、小佐野ら4人は、一審で有罪判決を受けて、上告中に死亡。他の11人も1995年までに全員有罪が確定した。しかし、ロッキード事件の本丸と見られていた、児玉・防衛庁ルートに流れたとされる21億円の賄賂が誰に渡ったのかは、解明されることなく闇に葬られた。しかし、永久に闇に葬り去られたと思われていた児玉・防衛庁ルートに流れたとされる21億円の賄賂に関係した証言が、事件から40年の時を経て明るみに出た。丸紅の担当者と、アメリカの国家安全保障問題担当大統領補佐官だったリチャード・アレンの証言により、当時、トライスターの購入は既に決まっていて、ロッキード社が田中に申し入れたのは、対潜水艦哨戒機P-3Cオライオンを日本に導入してほしいという内容だった。当時、日本では日本独自の技術開発により、対潜水艦哨戒機を開発する準備が進められていた。それに対してアメリカは、自国のP-3Cオライオンを日本に導入させることで、1機100億円を超えるビックビジネスの獲得と、日本政府がアメリカの防衛システムを導入することで、アメリカがお金を使わずに対ソ連の防衛網も確立できるという大きなメリットがあった。ロッキード社による贈収賄事件が発覚したことで、アメリカ政府は事件を民間機のトライスターに関わる部分だけに収め、P-3Cオライオンの導入については、表ざたにならないように証拠を隠蔽したという驚くべき証言内容であった。事件発覚当時、国会に於いて承認喚問が行われ、事件に関与した者達を偽証罪により、特捜部が逮捕するきっかけを作ったが、ロッキード事件の本丸であった児玉・防衛庁ルートの重要参考人であった児玉が脳梗塞の後遺症のために重度の意識障害を起こし国会の承認喚問に応じることが出来ないという児玉の主治医の説明により、国会での承認喚問が実現しなかった。そして、ロッキード社と児玉の通訳を務めた福田太郎が急死したことにより、児玉・防衛庁ルートの捜査は完全に暗礁に乗り上げた。 また、アメリカから日本政府に提供された資料は、トライスターの購入に関するものばかりで、P-3Cオライオンの導入に関係する資料はなかった。そのため特捜部は、児玉・防衛庁ルートに流れた21億円の賄賂についての捜査を断念せざるお得なかったのである。ロッキード事件から46年の歳月が流れた令和4年度の防衛費は、5.4兆円でロッキード事件が発覚した昭和52年の防衛費1.69兆円の3.19倍に大幅に増額され、その中にはイージス艦、垂直離着陸機オスプレイ等も含まれている。そして、先日政府が発表した令和5年度の防衛費は、5.6兆円の過去最大の概算要求額になる。ロッキード事件は、当時ロッキード社との間で購入されることが、既に決まっていた民間航空機トライスターの購入の謝礼として田中角栄元総理大臣に渡った賄賂だけに絞り、国会における証人喚問が行われ、田中角栄元総理大臣を含む関係者の逮捕と有罪確定により事件に幕が下ろされた。しかし、司法当局は、ロッキード事件の本丸とされた防衛庁ルートを解明することなく捜査を断念して、巨額の防衛費の利権に群がる自民党の防衛族と防衛庁の幹部らの利権構造にメスを入れることが出来なかった。事件当時は、内閣府の下部組織であった防衛庁は、防衛省に格上げされ、従来予算の要求や執行を独自で行うことができず、国の防衛に関する重要案件や法律の制定や高級幹部の人事についても、いちいち内閣総理大臣を通さなければ閣議の承認を求めることができなかったが、現在防衛省は、防衛大臣が内閣府を通さずに予算要求や執行を行うことができるようになった。そして、1976年2月の米上院外交委員会でロッキード社の副社長アーチボルド・コーチャンが証言した中でP-3Cオライオン1機に付き5000万円の手数料が児玉誉士夫に支払われ、その内21億円が自民党の防衛族と防衛省の高官に流れたとされている。2016年までに日本政府は、1機100億円超もする対潜水艦哨戒機100機をロッキード社から購入し、購入費やメンテナンスとして1兆円もの大金を支払った。アメリカの防衛産業と自民党及び防衛省の癒着の関係は、防衛費の増大に伴い、ロッキード事件当時に比べ遥かに強固になり、想像もつかないくらい巨額のリベートが自民党の防衛族や防衛庁高官に流れていることは紛れもない事実であろう。ロッキード事件は、アメリカが事件を公表しなければ、決して公にアメリカの防衛産業と日本政府の間における巨額の利権で結ばれた癒着関係が露見することはなかったはずであった。田中角栄元総理大臣の逮捕で事件に終止符が打たれたが、今なおアメリカの防衛産業と自民党及び防衛省の癒着の関係は続いているのである。そして、一番の問題は、アメリカ政府の協力を得なければ、防衛費をめぐる巨額の利権構造を立証することは、日本独自の力では、殆んど不可能であるということだ。

Posted by たっちん